小田襄版画集 都市 東欧 / 小田襄
小田襄版画集 都市 東欧 / 小田襄 / 1972 / STUIO GO / 160x160mm / 布貼ハードカバー&スリップケース / 148番(限定300)/ 熱凸版プレス(作品:150x150mm) / 9,000円+900円=9,900円
※状態、ケースのスレ、布貼カバー端にスレ&ヨゴレはございますが、作品10点に目立つダメージはございません。
●内容、
Ⅰラヴネ / Ⅱベオグラード / Ⅲリビリアナ / Ⅳプラヴィ / Ⅴワルシャワ / Ⅵブラチスラバ / Ⅶオストラバ / Ⅷプラハ / Ⅸブダペスト / Ⅹベルリン /
あなたえのノート。
今や東欧にしか真のヨーロッパは残ってないと云われて久しい。それは、あの変わりようのないと思われるヨーロッパの都市が現代の巨大で透明な魔術師たちによって徐々に変えられつつあるからだ。東欧という言葉はロマンチックな響きの向こうに政治的な意味が多い。政治的概念としての東欧は明確な内容を持っている。
しかし今日、東京を社会体制の相違としてとらえ、共産圏、衛星圏とだけ見なすことは出来ない。民族、文化、歴史、宗教などを含め、東欧にあるのは、その多様性と人間的なものの姿であろう。
これは1964年以来、数回訪れ滞在そた東ヨーロッパの都市のまったく私的なイメージの記録である。
人間の風景、歴史的なことがら、現代の事件 – 見たもの、聞いたこと、接したことなどが、ぼくの体験を強めた。
この10の都市には大きな都会ばかりでなく、名も無い小さな場所もある。そのような所でさえ、ぼくは多くの事件や機会を捉え、またそれらに捉えられ続けたが、しかしなんと多くのものを失ったことだろう。イメージが文字に変る時、文字は個人的な理由で解体され、白いスペースに落され、組み立てられていく。これらがぼく個人のものだけでなく、あなたの想像と未知の領域えの可能性に繋がらんことを・・・・・。
版画は言語によらないその空間、場所、位置のイメージを視覚的に追究、構成してみた。
それは、いくつもの都市に入る時、あるいはそこを去ってから、ふと抱くぼくの白日夢の図式かもしれない。テクニックは版画作品に用いることでは世界に類がないもので、数年来研究の熱凸版プレスによる実験である。
小田 襄(おだ じょう、1936年 - 2004年)は、日本の彫刻家国際的金属造形作家で、ステンレスを使った作品で知られる。紫綬褒章受章・日本美術家連盟理事長・教育者として多摩美術大学・東北工業大学において多数の後進の教育に携わった。
※状態、ケースのスレ、布貼カバー端にスレ&ヨゴレはございますが、作品10点に目立つダメージはございません。
●内容、
Ⅰラヴネ / Ⅱベオグラード / Ⅲリビリアナ / Ⅳプラヴィ / Ⅴワルシャワ / Ⅵブラチスラバ / Ⅶオストラバ / Ⅷプラハ / Ⅸブダペスト / Ⅹベルリン /
あなたえのノート。
今や東欧にしか真のヨーロッパは残ってないと云われて久しい。それは、あの変わりようのないと思われるヨーロッパの都市が現代の巨大で透明な魔術師たちによって徐々に変えられつつあるからだ。東欧という言葉はロマンチックな響きの向こうに政治的な意味が多い。政治的概念としての東欧は明確な内容を持っている。
しかし今日、東京を社会体制の相違としてとらえ、共産圏、衛星圏とだけ見なすことは出来ない。民族、文化、歴史、宗教などを含め、東欧にあるのは、その多様性と人間的なものの姿であろう。
これは1964年以来、数回訪れ滞在そた東ヨーロッパの都市のまったく私的なイメージの記録である。
人間の風景、歴史的なことがら、現代の事件 – 見たもの、聞いたこと、接したことなどが、ぼくの体験を強めた。
この10の都市には大きな都会ばかりでなく、名も無い小さな場所もある。そのような所でさえ、ぼくは多くの事件や機会を捉え、またそれらに捉えられ続けたが、しかしなんと多くのものを失ったことだろう。イメージが文字に変る時、文字は個人的な理由で解体され、白いスペースに落され、組み立てられていく。これらがぼく個人のものだけでなく、あなたの想像と未知の領域えの可能性に繋がらんことを・・・・・。
版画は言語によらないその空間、場所、位置のイメージを視覚的に追究、構成してみた。
それは、いくつもの都市に入る時、あるいはそこを去ってから、ふと抱くぼくの白日夢の図式かもしれない。テクニックは版画作品に用いることでは世界に類がないもので、数年来研究の熱凸版プレスによる実験である。
小田 襄(おだ じょう、1936年 - 2004年)は、日本の彫刻家国際的金属造形作家で、ステンレスを使った作品で知られる。紫綬褒章受章・日本美術家連盟理事長・教育者として多摩美術大学・東北工業大学において多数の後進の教育に携わった。
